末野屋長助の独断と偏見の漫画紹介~柔道~
初めに
こんにちは、末野屋長助です。
今回は自分が今まで読んでいて面白かったので完結まで買ってしまい、現在独り暮らしでも所持(電子コミック含む)している漫画を紹介してみます。
・・・ぶっちゃけかなり独断と偏見です。
しかも、最近の漫画は知りません。
知っていてもジャンプなど主要雑誌連載の漫画は知りません。
ジャンプもジョジョがウルトラジャンプに移行した時から読まなくなりましたし、サンデー、マガジン、チャンピオンもいつの間にか読まなくなっていました。
後、天邪鬼なのか、ワンピースやナルト、コナンなど超有名なものは避ける傾向があります(誰でも知っているものには興味があまりない)。
でも、漫画は娯楽として好きです。
学ぶことも多いです。
末野屋長助、中学生の頃の思い出の漫画
ご紹介したい漫画はこちら、
『帯をギュッとね!』という高校柔道の漫画です。
週刊少年漫画雑誌『週刊少年サンデー』(小学館)に、1988年から1995年52号まで連載された。単行本は小学館:少年サンデーコミックスより全30巻、同ワイド版より全15巻、小学館文庫より全16巻。
『NEW WAVE JUDO COMIC』と銘打ち連載された本作は、多数のギャグを交えた軽妙なストーリー運びで、従来のスポ根一辺倒の柔道漫画とは一線を画した。そしてそれまでのスポ根としてのイメージが強かった柔道漫画を、スポーツ競技としての爽やかなイメージに変えて人気を博した。 (Wikipediaより引用)
これより前にあった柔道漫画の『柔道部物語(柔道部物語 - Wikipedia)』のような硬派系柔道漫画でもなく、『YAWARA!(YAWARA! - Wikipedia)』のようなラブコメ系柔道漫画でもないフラットかつ実践的な漫画と思っています。
作者の河合克敏さんも『柔道という競技への取り組み方に関しては、作品全体を通して「技に重きを置き、柔能く剛を制す、そして明るく楽しい柔道」を描こうとしていた』とも述べられています。
小学校を卒業し中学に入学する前の春休みに末野屋長助少年はこの漫画に出逢って『なんて柔道は面白いんだ』とかなり影響されてしまっていました。
入学前まで中学の部活は小学校までしていた剣道か卓球にしようかなと思っていましたが完全に柔道脳になってしまっていた僕は、即担任の先生に入部希望書(それを書いて入部が確定していた)を提出しにいったのですが、
『うちの中学には女子柔道部しかないぞ、男子柔道部は何年も前に無くなったぞ』
と言われてしまいました。
ガーンです。
普通ならばそこであきらめるところなのですが末野屋長助少年は違いました。
諦めきれなかった少年は初めて会うクラスの同級生数人(同じ小学校の友人には声をかけなかった)に声をかけ、何とか部として成立できる兼団体戦での出場ができる5名(全員未経験)の署名を提出でき、弱小男子柔道部として1からスタートすることになりました。
・・・柄にもないのですが、言い出しっぺの僕が主将を務めることになりました。
ほとんど導入がこの漫画と同じで運命を感じました。
そんな思い出の漫画です。
この漫画は教科書だった
右も左もわからない弱小柔道部員だった末野屋長助少年たちは女子柔道部の部活に紛れて一緒に練習をしていました。
・・・同年代の女子と寝技を掛け合ったり羨ましいとか、力で押し切ったんだろ、とか思った人。
力じゃないんですよ。エロ根性じゃないんですよ。
もう毎回ボロボロになっていました。
技かけられて受け身が取れず頭から落ちて気絶したり、締め技かけられて気絶したり。
だから技の大事さ、タイミングの大事さっていうのが身に染みて分かったのかもしれません。
弱小でできたばかりなので顧問もいません。
教えてくれるのは女子の先輩。
まだまだ素直になれない中学生の末野屋長助少年たちは昼休みや部活が終わった後に柔道のビデオをみたり、漫画を読んだりして勉強していました。
漫画の練習方法とかを取り入れたりして練習していました。
勉強して、練習してをやっていたましたが正直、一年生の頃は大会や一勝もできずにおわりました。
・・・現実は非情である。
漫画のキャラクターのようにはいきません(>_<)
僕たちは中学生だった。必殺技にあこがれた。
武道をしている中でたくさんの技の中から自分が得意とする技を持つのが勝つための戦法の一つでもあります。
漫画キャラクターたちも終盤の勝ち上がった全国大会で強豪相手に披露している場面もあります。
正直中二病だった末野屋長助少年たちもあこがれてしまっていました。
末野屋長助少年は背負い投げ~と寝技が得意だったのですがここ一番の必殺技も欲しくなっていました。
もちろん必殺技もこの漫画を参考にしました。
それが、
主要キャラの宮崎茂の必殺技(漫画では裏技と言っています)です。
袖釣り込み腰という技に似ているアマレスの技『逆一本背負い』です。
漫画では一本を取って勝っていますが、末野屋長助少年はこれで相手の態勢を崩し寝技で勝つという必殺技を作っていました。
このように普通の柔道漫画には出てこない技でしかも実現可能な技の描写があるに興奮した中二病は実行してしまったわけです。
ただ、先生や周りの先輩たちに素直に『漫画の技をパクりました』というと怒られるのでずっと『一本背負いをしようとして失敗しました』とうそをついていました。
ちなみに、どうでもいいですが、私の中学三年間の柔道成績は北信越大会2回戦負けです。
黒帯も取れなかった弱小としてはまあまあかな、と思っています。
終わりに
ほとんど漫画の紹介じゃあなくなってしまいましたが、皆さん自分の人生に影響を与えた漫画はございますか?
私にとってこの『帯をギュッとね!』はその漫画の一つです。
特にスポーツをしていた方々は何かあると思います(『キャプつば』や『タッチ』なんか多そうですね)。
それは本当に幸せなことです。
百人いて百人全員面白いという漫画は少ないと思います。
読んでいて、その時光っていた漫画というものもあるかと思います。
私のように大人になって、しかも実家を離れ、一人暮らしを始めてもほかの荷物と一緒に持ってきているような漫画って、もしかして自分のバイブルなのかもしれません。
そんな本とめぐりあった自分は、本当に幸せなんだ、と思います。
では今回はこの辺で。
・・・・漫画の紹介って私に向いていないのかもしれませんねぇ。
そして私は祖父の戦時体験談を書き連ねてみた
8月15日、お盆ですね。
こんにちは、末野屋長助です。
お盆に台風直撃とかなんてこったいですね。
今回は私が尊敬してやまない御年93歳の祖父から昔聞いた戦時中のお話しを書き連ねようと思います。
とても短いお話しです。
1945年、若きみっちゃんは福井市にいた
1945年終戦の年、祖父(以後みっちゃん)19歳は福井の師範学校(福井師範学校 - Wikipedia)に入学していた。
大変勉強のできたみっちゃんは地元の先生などの推薦により地元から遠く離れた福井の師範学校に入学できたそうだ(今での感覚いうと福井の田舎から東京の学校に推薦されたようなもの)。
みっちゃんは9人兄弟で5男でしたが長男は戦争へ行って何年も帰ってこない(生還)。
次男は病死(36歳)、3男は生後まもなく死亡(0歳)、4男は26歳で戦死、後の4人は姉妹だったので、あれよあれよと跡取りになってしまっていました。
※当時は跡取りは徴兵は免除されていたそうです。
その為、徴兵もされず、福井の田舎で勉学に集中できたそうです。
運がいい。
ですが日本の敗戦の足音は着実に迫ってきていました。
その日はやってきた。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲から始まった日本各地への本土空襲が始まりました。
当時、みっちゃんは空襲があったことは新聞や士官学校の先生からの話で知っていましたが『福井は田舎だから大丈夫だろう』と考えていたそうです。
戦時中にしては平穏そのものだったそうです。
しかし、『日本は負けているかも』という不安がだんだん増えてきていたそうです。
その一つが1945年に先にも記述した『跡取りは徴兵されない』という鉄則が崩れ始めたのと『学生にも徴兵され始めた』という変化でした。
1945年7月中旬、とても暑い日だったそうです。
みっちゃん当時19歳。
1945年7月19日深夜 ~福井大空襲(福井空襲 - Wikipedia)~
テニアン島を飛びたったB-29127機による81分間の集中爆撃を受け、壊滅的な被害となった。
米軍の評価によると、福井市街地の損壊率は84.8%で人口103,049のうち罹災者85,603、世帯数25,691のうち罹災世帯は21,992にのぼった。
死者は1,576人(女915人、男661人)にのぼり、重軽傷者6,527人で内108人はその後死亡した。
地方都市への爆撃としては富山市、沼津市に次いで全国トップクラスであった。
(Wikipediaより)
赤紙を受け取ったみっちゃんは『戦死した兄ちゃんにところに行かなくちゃいけないのか』と覚悟を決め寝ていたそうです。
深夜、寝ていたところをサイレンや教員の怒号、同じ生徒達の叫び声で飛び起きたみっちゃんは混乱しながらも窓の外が真っ赤に染まっていたのを見て、最初は『火事だ』と思ったそうです。
しかし、騒ぎがおかしいことから空襲だと気づき同級生達と先生に従って避難を開始したそうです。
深夜でしたが燃える炎だけを頼りに走って走って走りまわること数分。
途中で運悪く数百メートル先に落ちてきた爆弾の風圧に紛れ爆弾の破片がみっちゃんの額から頭部にかけ当たり吹き飛ばされたそうです(今でもみっちゃんの額は見るからにへこんでいる)。
本来なら即死だったそうですが、みっちゃんは意識を失っていたところを仲間に助けられ担がれて救護ができる防空壕に逃げ込むことができたそうです。
九死に一生、本当に運がいい。
1945年8月15日、終戦へ
九死に一生を得たみっちゃんでしたが手足は動いたので1~2週間の入院で済み、師範学校に戻ったそうです。
ちょうど徴兵のため、軍人も来ていたそうです。
軍人はみっちゃんをみると、
『空襲にやられたか。ほかのやつより鬼畜米兵は憎かろう』
といってきました。
みっちゃんはこのままではこの状態で戦場に連れていかれてしまうと思ってしまいとっさに、
『ぼくはこんなひどいことをする敵国が憎いです!
憎くて憎くて仕方だないです!
だからしっかり治して万全の状態で鬼畜米兵と戦って勝ちたいです!!』
と軍人に言い放ったそうです。
軍人は、
『そうか!ならしっかり治してお国のために戦ってこい!』
といって『要治療』のハンコを押して徴兵を延期してくれたそうです。
なんとまぁ、本当に、運がいい。
そのまま治療中に1945年8月15日を迎え、戦場に行くことなく終戦を迎えたそうです。
運が良すぎませんかねぇ!!!
戦後
傷も治ったみっちゃんはその後、教職の道を行き60歳の定年になると盆栽や菊の趣味をしながら余生を過ごします。
そして現在、93歳になっても背中も曲がらず、杖もつかず歩け、一日三食ごはんをモリモリ食べている健康なみっちゃん(我が家の最高年齢更新中)がいます。
そんなみっちゃんが私に幼い頃から言っている教訓があります。
それは、
『飯は急いで食え。いつ空襲があるかわからない』
なんやねん。
~終~
7月6日(土)開催「楽天証券サービス開始20周年記念投資セミナー(大阪)」に参加行ってきました。
こんにちは、資産運用奮闘中の末野屋長助です。
昨日7/6(土)は東京でインデックス投資ナイトで盛り上がっていたみたいですが、私は申し込みを逃がしてしまいました。
・・・来年は行ってみたいですね。
閑話休題。
実は同日、『大阪で楽天証券サービス開始20周年記念投資セミナー』がグランキューブ大阪で開催されました。
こういうイベントに参加するのは初めてなのでドキドキでした。
講演は本当にその方の考え方がわかるもの
正直、遅刻してしまって最初から視聴してなかったんですが、ホールの最後尾上段席から登壇者のお話しを聞くことができました。
大阪会場だけで入場者は2000人ほどいたそうです。
【開会のご挨拶】
・・・遅刻しました。まるまる聞くことができませんでした。
【竹中平蔵氏のご高話】
・・・ちょっと聞いていたのですが、政治側に立ったお話しで内容に興味がなかったので・・・すみません、寝てましたzzz
【窪田真之氏のご高話】
・・・これは本当に目が覚めて興味深々で聞くことができました。
内容を私なりにピックアップすると、
①日本の景気の見通しは2019年は停滞/後退し、回復は2020年に持ち越されるだろう
10月の増税の影響が出ると話されていました。
過去の増税(3%、5%、8%)時に景気後退期に必ず突入し今回も危惧するとのことです。
一度9月に全部売却して11月頃に買うという戦法が必要なんでしょうかね。
②20年までに景気敏感株を仕込む
景気の動向に左右される景気敏感株(鉄鋼、化学、紙パルプなどの素材産業や工作機械などの設備投資関連などの銘柄)
と
景気に左右されにくいディフェンシブ銘柄(生活必需品である食品や医薬品、社会インフラである電力・ガス、鉄道、通信など)
があり、増税後の景気低迷/後退期に大量に仕込むチャンス!
らしいですね。
ただ、景気敏感株でも自動車業は最高にハイリスクなので絶対におすすめすないそうです。
ディフェンシブ銘柄銘柄では安定がある3メガ銀行(三菱UFJ FG、三井住友 FG、みずほ FG)はおすすめとのことでした。
③今後の意地悪な相場に翻弄されないために
1:インデックスファンドで毎月こつこつ低コストの投信で積み立て投資
(つみたてNISAで年40万円の活用も有効)
2:内外の株や債券に低コストで分散投資(バランスファンドに投資)
(NISAで年120万円の活用も有効)
3:東証REIT指数インデックスファンドや好配当利回り株に長期投資
だそうです。
・・・間に2名ほど登壇されていたようですが昼食に行っていて視聴していませんでした。
昼食後に視聴したこの対談での私の印象に残った内容は、
①良い会社の見極め方
・会社のHPに社長の顔写真が載っているか(後ろ暗いところがある方は載せていない確率が高いそうです。だから危ない。ちなみに日産のゴーンさんは載せていなかった)。
・会社のHPに役員の顔写真が載っておるところはさらに良い(上場企業の17%しかないそうです)。
・今、保有している会社の内容をみて『株価の価値が無ければ損切しろ』
(これに関しては、私のような初心者は判別つかないなぁ、と感じました)
・自分が得意な(好きな)分野の株を保有するのが株に興味が出て、開拓しやすくさらに利益を得やすいし、楽しい。
これは私の心にズーンと来ました。
きてよかった。
勢いで初のサイン会に参列
対談で話されていた杉原杏璃さんの考え方が大変きになったので書籍まで購入してしまいました(勢いでサイン会の列にも並びました。人生初です、けしからんおっぱいですた)。
・・・サイン会に並んでしまったので私が今日聞きたかったセミナーに出れませんでしたが(/ω\)
最後に
初めての参加でしたが、かなり有意義な時間を過ごせました。
やはり、人生を豊かにするための手段として今後も資産運用を続けていこうと思います。
ちなみに楽天証券は7/22に米国株取引の手数料が引き下げになるので、米国株に近々参戦しようと思っています。
後、この考え方は本当に大切です。
では、今回はこの辺で。
末野屋長助の失敗事例共有:株の衝動買いは後々不安と後悔の元になるⅡ《マクセルHD(6810)の場合》
こんにちは、末野屋長助です。
今回も私の失敗事例をつらつらと公表していこうと思います。
今回取り上げる企業はマクセルホールディングス(6810)という会社です。
YouTubeでの株の勉強は手軽で簡単?
今年3月から国内株に手を出しているのですが、数々の書籍を読む以外にYouTubeの株動画も参考にさせていただいています。
今私がよく見ているのは、
の2つです。
いつもいろいろな考え方と見方があるのだなぁ、と感心してみております。
その中で、私が6/24に見ていた動画に引き込まれてしまいました。
それがこちらです。
特別配当・・・そういうのもあるのか。
・・・
・・・
チャ~~~~ンス
・・・死亡フラグの完成。
購入時は不安なんて全くありませんでした。
今まで見てきたほかの株は確定日は上昇していましたし、次の日に売っちゃえばそんな大きなマイナスにはならないだろうという考えしかありませんでした。
まさかこんなことになるとは・・・。
マクセルHLDが急落、6月末特別配当権利落ちで売り加速
ちゅど~~~ん!!!
え、なんで利確日に下がるの!?
しかも何百円単位って!!??
半日でマイナス20万んんん!!!???
うそ~~~ん(´;ω;`)
特別配当以上のマイナスじゃんかよ~。
見事に釣られました。
後日、ツイッターで株の先輩方にお聞きしたら、
『2か月ぐらい前に株を購入して利確日に売却して配当以上の利益を得る手法もある』
というテクニックを教えていただき、目からうろこがこぼれました。
私はこれに巻き込まれたんだと思います。
終わりに
7/1の時点がこれです。
今回大きな失敗をしてしまいましたが、本当に良い勉強ができました。
マクセルHDの株を買うと決めたのは自分。
自分が決めたことに文句は言わない。
悔しいとは感じますが『損失以上の利益を出してやる』という気持ちもわきました。
まだまだわからないことがいっぱいありますが『走りながら学ぶ』をしながら前進していこうと思います。
小さなことからコツコツと!
がんばっていきます!
株の衝動買いは後々不安と後悔の元になる《串カツ田中HLDGS(3547)の場合》
こんにちは、末野屋長助です。
最近ラーメンブログと化してしまっていましたが、当ブログは雑記ブログです。
食べ物以外もつぶやいていこうと思います。
5/30のニュースに串カツ田中HLDGS(3547)の話題がでました
内容は上記の通りで、
・上場市場を6月21日付で東証マザーズから東証1部か2部に変更
・オーバーアロットメントによる売り出しを含め最大で発行済み株式総数の12.5%にあたる115万株を売り出し
とのことです。
串カツ田中と私
私はぶっちゃけ串カツ田中に食べに行ったことはありません。
知ったのも2018年7月26日のカンブリア宮殿での特集でした。
それからいつかは食べに行ってみたいという思いはありましたがずるずると今でも通うことができていません。
そんなわけですが、今年の3月から国内株を始めた私が一番最初に保有したのはこの“串カツ田中HLDGS(3547)”の株でした。
保有理由は、
『優待券あるじゃん、食べに行けるじゃん』
というただそれだけでした。
でも、4月末で3月末購入時より600強も株価が上昇し、また改元ブレで市場が不安になるという情報からGW前日に売却。
思えば、
“人生で初めて買った株(持ち株会の勤め先の株以外で)”
“人生で初めて売った株”
“人生で初めて利益が出て確定した株”
の初めて3冠を達成した思い出に残る会社です。
利益がでたのは本当にビギナーズラックだったと思います。
ニュースを受けての私
6月3日の6月初めの月曜日、株価は午前中から▲200も下落。
どうやら非常にインパクトがあり不安への影響が4が直撃したようです。
私はというと、恥ずかしながらこう思いました。
チャ~ンス
・・・死亡フラグの完成。
購入時は不安なんて全くありませんでした。
午後も大きく下落したのも一時的なもので次の日には反発するだろうという考えしかありませんでした。
まさかこんなことになるとは・・・。
株価下落で一時は2000円を下回る
う~ん、この。
どうしたものか。
買わなかったら含み損の出血は少しは抑えられたものを(木曜金曜はほとんど回復したのにぃぃぃ)。
でも、刹那的といえど買うと決めて買ったものですし、しばらく様子見ようかと思います(放置プレイの極み)。
株価トントンになったら一旦下げようとは思いますが(飲食業界は10月に増税ゴジラのメルトダウンがありそうなので)。
終わりに
どこかのブログで『多くの人が売るときに買え』という文があったのですが、なかなか難しいですね。
でも、まだまだ勉強と思って頑張っていきます。
では!!(串カツ食べたくなってきました)
そして私はラーメンを食べにいってみた ~和歌山(市内)の中華そば 丸田屋 ぶらくり丁店~
たまに行くならこんなラーメン屋(略して“たまラー”)
こんにちは。末野屋長助です。
今回もたまに食べたいラーメン屋を独断と偏見を踏まえご紹介していきます。
今回はお仕事で和歌山行ってきました。
和歌山(市内)の中華そば 丸田屋 ぶらくり丁店
和歌山県和歌山市のJR紀勢本線(和歌山~和歌山市) / 紀和駅 徒歩11分(810m)ほどにあるお店が今回ご紹介するラーメン屋『中華そば丸太屋ぶらくり丁 店』さんです。
『中華そば丸太屋ぶらくり丁』
和歌山ラーメンとは
丸太屋さんはド定番の和歌山ラーメン
丸太屋さんは先ほど述べた条件が全部そろっている“ザ・和歌山ラーメン”です。
今回は『特製中華そば(税込800円)』と『しらすめし(税込300円)』を注文してみました。
仕事終わりに立ち寄ったのでお腹ペコペコでした。
実食~癖がつよいんじゃ~
スープは少しとろみのある豚骨醤油で細麺に程よく絡みつきます。
薄口しょうゆがかかったぷりぷりの『しらすめし』は舌に絡みついたスープを残さず胃へご招待する役目を見事に果たしてくれます。
ちなみに丸太屋さん・・・『たまごめし(税込250円)』も絶品です。
そして私は中華そばを食べにいってみた
私はいままで和歌山県のいろいろなラーメン店にいって和歌山ラーメンを食べてきたのですが、どことなく臭みがと後味の悪さを食後に感じてしまったり、悪い時は一口目でギブアップしてきました。
しかし、今回ご紹介しました丸太屋さんはそんな私の舌も満足させてくれる味でした。
好みはあるかもしれませんが、和歌山ラーメン初心者にもハズレのないお店ではないでしょうか。
後、お会計ですがPayPayでの支払いが可能です。
次行くお店もいい店だったらいいな~。
ではでは。
そして私は自動車のタイヤを交換してみた
初めに
みなさん、こんにちは、平成JUMPをしてしまった末野屋長助です。
令和では良い方を見つけたいですね。
今回は、遅れに遅れていたスノータイヤからノーマルタイヤへの交換のお話しをしていきたいと思います。
自動車を所有していない人は、なんやねん、と思う方も多いかもしれませんが簡単なお話しにするつもりなので雑学程度で軽く読んでみてください。
(今回写真が多くなってしまいました)。
年に2回のタイヤ交換
私は普段、大阪に住んでいるのですが、実家は冬に雪が降ったり、凍結したりする北陸にありたまに帰ったりしています。
その為、温かい都会のように一年中ノーマルタイヤという訳には行かず、春と秋にノーマルタイヤとスノータイヤの交換を行っております。
昔はタイヤの交換をする家が多かったのですが、最近の方はディーラーやタイヤ専門店、整備工場やガソリンスタンドなどいろいろなところでしてもらえるので、時間と手間をお金で解決している方も多いそうです。
では、そのようなところの頼んだ時のお値段は如何程なのでしょうか。
結構なお値段で・・・
さて、正直なところ、私は車を買ってからずっと自分でしてきたので、交換を頼んだ場合の値段というものに詳しくありません。
その為、こちらのサイトを参考にさせていただきました。
スタッドレスへのタイヤ交換の料金・費用・工賃とは|車検や修理の情報満載グーピット(GooPit)
こちらの記事によれば持ち込みの場合、『軽自動車、普通車、ミニバンでタイヤ組み換え 2,000円/本(4本で8,000円)』とのこと。
・・・8,000円、高っか(´゚д゚`)
年2回で、8,000×2=16,000円。
10年車に乗ったとして、16,000×10=160,000円
16まんえん!!
ええ~、みなさん、この金額払ってるんですか。
お金持ちですね(>_<)
私はこの16万円はほかに使いたいです。
実際に自分でタイヤ交換してみよう ~末野屋の交換手順~
では、節約のために自分で交換してみたいという皆さんに、末野屋が実際にしているやり方をお話ししてみようと思います。
ただ、私も父から教わっただけで教本などは読んだことがない為、不安な方は教本などで本格的に勉強してください。
①保管していたタイヤのチェックをしよう
まず、保管していたタイヤの空気圧チェックを行います。
いま現在クルマに乗られている方は、自身のクルマの「適正空気圧」をご存知でしょうか?
大概、運転席のシートとドアの間のフレームに下のようなシールが張り付けられているのですが、取り付けるタイヤサイズのkPaを確認します。
私のタイヤの場合は赤丸の220kPaですのでこの分だけ空気を入れればいいんだな、と確認します。
空気を入れるのに使う機器はこちら、
エア~コンプレッサ~。
・・・“家にあるかい、こんなもの!!”と怒らないでください。
無い場合は、ガソリンスタンドなどで入れてきてもらっても大丈夫です。
そして、空気圧を測る道具はこちら、
タイヤゲ~ジ
こちらで、
エアを確認。
保管していたタイヤはメーターが220kPaを下回っているはずなので、
空気を入れます。
私は220kPaピッタリじゃなくても10kPaくらいならば多く入れても問題ありません。
②駆動輪に取り付けるタイヤを選びましょう
ではタイヤを取り付ける前に4輪あるタイヤをどこに取りつけるか決めていきましょう。
私の車は10年以上前のものなので左右のタイヤで訳ています。
見分け方は下の写真のように車体の右側のタイヤには“→右”と書いて分けています。
最近の新しい車は分けなくてもいいそうですね。
次に駆動輪に使うタイヤを選択します。
基準は“タイヤの消耗(溝の減り、傷etc.)が少ない”です。
一番いいタイヤを駆動輪に使いましょう。
自分の車が前輪駆動か後輪駆動かは自分で調べてください。
③安全に取り付けて行きましょう
まず、取り付ける際は傾斜の無い平らな地面で行いましょう。
また、サイドブレーキが引かれているか、シフトレバーはPレンジにしてあるか、後このような車止めで、車が動かないようにしているかなど安全に十分な確認をしてください。
④ジャッキで車体を上げて行きましょう
寝っ転がるマットを敷いて、ジャッキを使い車体の下にある定位置(へこみのあるところ)に、
ゴムを合わせドッキング!
で、タイヤの底が浮くか浮かないかまで車体を浮かせます。
⑤タイヤを外していこう
次にタイヤを外していきたいと思います。
使う道具はこちらのクロスレンチ(十字レンチ)を使います。
赤丸で囲ってあるところにテープを貼っているのはここが私のタイヤのナットのサイズなので目立つようにしています。
タイヤのナットは写真のように十字に外していかなければ軸が重さで曲がったりするので注意です(①→②→③→④のように外します)。
外したナットはこのついているタイヤ専用なので、取り付けるタイヤのナットとごちゃまぜにならないように区別して保管しましょう。
外したナット、そして取り付けるナットには必ず錆とりでコーティングしてから保管、使用しましょう。
私のお勧めはこれです(自転車の錆止めなどいろいろ使えます)。
⑥タイヤを取り付けてみよう
では次にタイヤの取り付けですが、クロスレンチでナットを十字に取りつけてからの工程があります。
このトルクレンチというものを使います。
トルクレンチの先には、
この下の0のメモリのところに赤字の“100”でメモリを合わせます。
ちなみに、普通車の場合は“100”で、軽自動車は“85”で合わせます。
これでナットを締めていくのですジャッキを落とさずが車体が浮いたままでトルクレンチで絞めていきます。
“カチッ”と音が鳴るまで締めていきます(それ以上してはいけない)。
ちゃんと締めれたら、ジョッキの油圧を緩めて車体をゆっくり下げて行きます。
これで一輪の交換は終了です。
この①~⑥までの工程を全輪行って交換終了です。
外したタイヤはちゃんと洗おう
また、半年後に使うのですからしっかり保管しないといけません。
汚れはブラシと洗剤でしっかり洗い乾かします。
そしてタイヤの溝に小石が挟まっていたらすべて取り除きましょう。
とらないと溝のひび割れなどの原因になってしまいます。
最後にタイヤゲージを使い今の空気圧を調べましょう。
もし、空気が「適正空気圧」の基準いっぱいまであるようでしたら少し空気を抜きます。これもゴムの劣化を防ぐためです。
そして私は自動車のタイヤを交換してみた
これで全行程が終了です。
タイヤの清掃まで含めてもだいたい1時間ほどです。
これを年に2度行います。
エアーコンプレッサー以外を一から取り揃えたとしても16万円よりはだいぶ節約になるのではないでしょうか。
交換は一人でもできますがサポートが一人いるとさらに早く終わらせることができます。
では、今回はこの辺で私の話は終了といたします。
最後までお付き合いいただきありがとうございました('ω')ノ