そして私は祖父の戦時体験談を書き連ねてみた
8月15日、お盆ですね。
こんにちは、末野屋長助です。
お盆に台風直撃とかなんてこったいですね。
今回は私が尊敬してやまない御年93歳の祖父から昔聞いた戦時中のお話しを書き連ねようと思います。
とても短いお話しです。
1945年、若きみっちゃんは福井市にいた
1945年終戦の年、祖父(以後みっちゃん)19歳は福井の師範学校(福井師範学校 - Wikipedia)に入学していた。
大変勉強のできたみっちゃんは地元の先生などの推薦により地元から遠く離れた福井の師範学校に入学できたそうだ(今での感覚いうと福井の田舎から東京の学校に推薦されたようなもの)。
みっちゃんは9人兄弟で5男でしたが長男は戦争へ行って何年も帰ってこない(生還)。
次男は病死(36歳)、3男は生後まもなく死亡(0歳)、4男は26歳で戦死、後の4人は姉妹だったので、あれよあれよと跡取りになってしまっていました。
※当時は跡取りは徴兵は免除されていたそうです。
その為、徴兵もされず、福井の田舎で勉学に集中できたそうです。
運がいい。
ですが日本の敗戦の足音は着実に迫ってきていました。
その日はやってきた。
1945年(昭和20年)3月10日の東京大空襲から始まった日本各地への本土空襲が始まりました。
当時、みっちゃんは空襲があったことは新聞や士官学校の先生からの話で知っていましたが『福井は田舎だから大丈夫だろう』と考えていたそうです。
戦時中にしては平穏そのものだったそうです。
しかし、『日本は負けているかも』という不安がだんだん増えてきていたそうです。
その一つが1945年に先にも記述した『跡取りは徴兵されない』という鉄則が崩れ始めたのと『学生にも徴兵され始めた』という変化でした。
1945年7月中旬、とても暑い日だったそうです。
みっちゃん当時19歳。
1945年7月19日深夜 ~福井大空襲(福井空襲 - Wikipedia)~
テニアン島を飛びたったB-29127機による81分間の集中爆撃を受け、壊滅的な被害となった。
米軍の評価によると、福井市街地の損壊率は84.8%で人口103,049のうち罹災者85,603、世帯数25,691のうち罹災世帯は21,992にのぼった。
死者は1,576人(女915人、男661人)にのぼり、重軽傷者6,527人で内108人はその後死亡した。
地方都市への爆撃としては富山市、沼津市に次いで全国トップクラスであった。
(Wikipediaより)
赤紙を受け取ったみっちゃんは『戦死した兄ちゃんにところに行かなくちゃいけないのか』と覚悟を決め寝ていたそうです。
深夜、寝ていたところをサイレンや教員の怒号、同じ生徒達の叫び声で飛び起きたみっちゃんは混乱しながらも窓の外が真っ赤に染まっていたのを見て、最初は『火事だ』と思ったそうです。
しかし、騒ぎがおかしいことから空襲だと気づき同級生達と先生に従って避難を開始したそうです。
深夜でしたが燃える炎だけを頼りに走って走って走りまわること数分。
途中で運悪く数百メートル先に落ちてきた爆弾の風圧に紛れ爆弾の破片がみっちゃんの額から頭部にかけ当たり吹き飛ばされたそうです(今でもみっちゃんの額は見るからにへこんでいる)。
本来なら即死だったそうですが、みっちゃんは意識を失っていたところを仲間に助けられ担がれて救護ができる防空壕に逃げ込むことができたそうです。
九死に一生、本当に運がいい。
1945年8月15日、終戦へ
九死に一生を得たみっちゃんでしたが手足は動いたので1~2週間の入院で済み、師範学校に戻ったそうです。
ちょうど徴兵のため、軍人も来ていたそうです。
軍人はみっちゃんをみると、
『空襲にやられたか。ほかのやつより鬼畜米兵は憎かろう』
といってきました。
みっちゃんはこのままではこの状態で戦場に連れていかれてしまうと思ってしまいとっさに、
『ぼくはこんなひどいことをする敵国が憎いです!
憎くて憎くて仕方だないです!
だからしっかり治して万全の状態で鬼畜米兵と戦って勝ちたいです!!』
と軍人に言い放ったそうです。
軍人は、
『そうか!ならしっかり治してお国のために戦ってこい!』
といって『要治療』のハンコを押して徴兵を延期してくれたそうです。
なんとまぁ、本当に、運がいい。
そのまま治療中に1945年8月15日を迎え、戦場に行くことなく終戦を迎えたそうです。
運が良すぎませんかねぇ!!!
戦後
傷も治ったみっちゃんはその後、教職の道を行き60歳の定年になると盆栽や菊の趣味をしながら余生を過ごします。
そして現在、93歳になっても背中も曲がらず、杖もつかず歩け、一日三食ごはんをモリモリ食べている健康なみっちゃん(我が家の最高年齢更新中)がいます。
そんなみっちゃんが私に幼い頃から言っている教訓があります。
それは、
『飯は急いで食え。いつ空襲があるかわからない』
なんやねん。
~終~